エピローグ

 

異様な衝撃がぐずぐずになっている足を固定されているイスごと一瞬浮かし、何か大きな肉の塊が目の前のガラスをスローモーションで粉々に砕いた。そのまま、窓からはいり込んだ肉塊は急激に膨張すると、ちょうど少女とカイを捕まえていたイスの前あたりから車を分断した。 やっと耳が聞こえるようになったのは固定されていた椅子ごと勢い良く外にほうり出された拍子に潰れた自分の足からのろのろと血がはい出すのを少しの間眺めてからのことだった。
 少女はほんの2〜3歩のところにやはり椅子に固定されたまま転がっていたが生きているのかどうかもわからなかった。
確かめようにも僅かそれだけの距離が今のカイにとって絶望的に遠かった。身体の中で動く所を全て動かして少女のそばによろうとしたが、ただみっともなく胴をくねらせてのたうち回ッて居るようにしか見えなかっただろう。
カイに出来たことはその不格好に膨れ上がった頭蓋を堅い敷石にこすりつけ、破れた皮膚から流れだす血を自分の頬に擦りつけることだけだった。

車を軽々と吹っ飛ばしカイと少女を外へ放り出した張本人はカイの親だった。

カイは思念を集中し、親の精神を圧迫し続けていたのだ。大勢の僧侶達が車にのってやってきて、親の身体をバラバラに分解してそこから新しい教理を導きだそうとしているのだと。

カイの親は味わったことのない強大な被害妄想を認識できず、パニックに陥り自縛帯を破って暴走した。
 そして、自分の体中の毛穴から体液を搾り出そうとする得体のしれない恐怖めがけて突っ込んでいったのだ。
 教団自慢の禍々しい護送車は一撃でその機能の大半を奪われ不格好な金属屑の塊と化していた。
 半ば壁面に突き刺さるような形で横倒しになり、軽金属製の穴だらけの車輪が歪んだまま引きずる様な音を立てて廻っている。
 路面はシャーシーから断続的に吹きこぼれる油と血がどす黒く入り交じり、あちこちでなんとか車から這い出した僧侶達が呻き声を上げていた。
 カイの親はその殆ど動くことのできなくなった僧侶たちをひとりづつ自分の体内に取り込みはじめていた。

カイの親の体内はある種の小宇宙のようなものだと考えられていた。

別に取り込んだ僧侶達を消化するわけではないのだ。取り込まれた僧侶達は生きているわけでも死んでいるわけでもなく、カイの親の体内にある小宇宙のなかで存在し続けるのだ。

 教団は一種、輪廻転生のような自分達の教義に都合のいい法則めいた力がカイの親の体内で働いていると解釈し、委員会はその存在意義を規定していくことで自分たちと此の星の住民達に有利な論理を導き出せないかと考えていた。
 そのためにカイの親は膨大な予算を食いつぶしながらも生き永らえていたのだ。

カイの親は僧侶達を取り込みながら少しづつ肥大し始めていた。
 カイはとっくに思念を送るのをやめていたが親はもう、カイの親であることをとうにやめていた。
 カイのチカラはその時点で一切の効力を失っていた。
 もうカイにできることはなにもなかった。

 目の前で眠っているように動かない少女が目を開けてゴミ屑のようになったボロ布のような自分を見ないことがせめてもの慰めだった。カイはだんだん遠のいていく意識のへリにぶら下がりながらそれでもまだ死を認められないでいた。

 

痛みが記憶だけになって金属の焼けるきな臭いニオイと一緒にまだ腕や足の付け根辺りに残っていた。

 手を踏ん張ってゆっくり身体をベッドから引き離す。
寝かされていた堅いベッドは少女が使っているものだ。
 まだあまり目が見えなかったが、感触でそれとわかった。
そして少女の柔らかい手がカイのホオに触れ、カイは伝わり始めた少女の触覚の様な思念からようやく起こったことと、これからなすべきことを理解し始めていた。

 2人は手を繋いでもう動かなくなってしまった祖父のすっかり縮こまり干からびた皮の塊のようになってしまった骸に簡単に別れを告げ外へでた。
 

 肥大化して巨大なアメーバ状になったカイの親が防壁を乗り越え街にはいったせいか、辺りには誰もいなかった。
 おそらく大半の住民が此の騒ぎに紛れて街にはいりこんだのだろう。
 カイと少女を救ったのは少女の祖父だった。
 カイの思念をカイの親とともに受け取り状況を理解した祖父はカイの親のなかにはいったまま現場に辿り着いたのだ。
 カイのなかに仕掛けられていた紅い目の鬼をカイの肉体ごと撃退したあと委員会と教団の追撃から逃れるためにカイの親のなかに隠れ回復するのをまッていたのだ。

2人は街の外れにある沢山の砂防壁を一つづツ数えながら乗り越えていった。

ミソギハオワッタ

カイのなかに今は棲んでいる祖父がそう呟いた。
 カイの穴だらけの身体を修復するために祖父はカイと一体化したのだが、まだ精神は分化したままだった。
でもいずれ時間が解決してしまうだろう。
 少女の小さな手が砂防壁の向こうでカイを探して空をまっていた、その小さな手を捕まえて、高空を吹き渡るジェット風の事を考えていた。
 でもそれが自分の考えなのか、祖父のものなのかは今のカイには未だ理解できなかった。でもそんなことはもう大したことではなかった。
日が落ちて辺りを柔らかい月の光が浮かび上がらせていた。その先にどこまでもさらさらとした金色の砂がつながっている。
その向こうに何が在るのか2人には見当もつかなかった。
でも、向かわねばならないわけはおぼろげながらに理解できているような気がしていた。
かつての自分の親達のように街をでる以外に生きることができないからだ。
親は結局捕まったが、引き離される前に同化してしまったので、委員会はその細胞からカイと少女を作ったのだ。
その委員会ももう同化され彼らが望んでいた新たなる進化を遂げているはずである。
彼らをを邪魔するものは誰もいないはずだった。
これからの長い長い時間を此の星の最後の住人となった2人が生きて、此の星の最後の夜を見届けるのだ。

夜はまだ始まったばかりだった。

 


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