抜け殻の男

 その日、頼まれ事を片づけるため温いコーヒーでしなびたパンをやっと

のことでのどへ流し込むとゴーグルをつけドアを開けた。

すぐに部屋へはいってこようとする砂ぼこりを避け足でドアを蹴るように

しめる。

 昔砂街と呼ばれていたこのあたりは幾層にもわかれた砂防壁に囲まれて

いたがそれでもいつも埃っぽくてざらざらしていた。日が落ちるまでには

まだ、だいぶ時間があったがさっさと用事をかたづけて熱いシャワーを浴

びたかった。

 俺は自家用にしているラビットのエンジンをスタートさせるとろくに暖

気もしないまま停車場のほうへ向かった。

 

 停車場には何台か、もう随分まえから動かなくなった車両がおかれてい

るだけでべつに変わったところなど見当たらなかったが、取り敢えずシャ

ッターを押し風景を取り込んでいく。

 注文は目線であることと、フレームを感じさせない、(つまりあんまり

はっきりした写真じゃ困るということだ)全体的な絵であること、そして

これが一番重要なことだがそれまでとの違いを撮ることだった。

 おかげで此の何日かここにはなんども通うことになったわけだが、果た

してそんなものが本当に写り込んでいるかどうかあまり自信があるわけで

はない。だが、依頼主であるタカヒデによればここ暫くで随分良くなった

という。

 取り敢えず、フィルム5本ほど撮ったところで、タカヒデの待つ現場へ

と向かった。此の時間だとまだたいして撮影は進行していないはずだっ

た。

 ラビットを何回かキックしてやっとエンジンがかかった頃にはそろそろ

日が落ち初めていてどこかで微かに鐘がなるのが聞こえた。

 

現場にはもう彼がきていた。

 旧い洋館の広間の片隅で窓から僅かに入ってくるぼんやりした光のなか

に二ツの人影らしきものが見て取れた。どの位そうしているのかは解らな

かったが、タカヒデが彼のそばに立ってなにかしきりにメモを取ってい

た。黴臭い広間のあちこちに照明器具やモニターがいい加減に置かれてい

て女優もスタッフも居なかった。

 

当然此の様子では撮影は進行しているはずなどなかったが、タカヒデは別

段気にするようでもなく俺からフィルムをうけとるとADを呼んで現像へま

わらせた。

 

彼<抜け殻の男>はいつものようにそこにいて相変わらずじっとしてい

た。

彼は-昔からそう呼ばれているように<抜け殻の男>としかいいようがな

い植物とも動物ともつかないものだったが-季節の変わり目になると渡り

鳥の習性のように大体同じ場所にあらわれるのだった。

 すこし、灰色がかったうすい青い色で全体が透けている。ちょうど人間

を蝉の様な生き物にして抜け殻を作らせればそんな感じになりそうなもの

だ。

 

元々人類より遥か以前から此の星に存在していたわりには彼らの事はあま

り解っていなかった。

 タカヒデによれば生態系そのものがあまりにも他の全ての生物と懸け離

れすぎていて調べようもなかったからだという。別に毒にも薬にもならな

いので放置されてきたというのではなくて、理解しようにも接点がなさす

ぎたのだ。

 ただ同じ時間軸のなかに存在しているというだけで、彼の存在は幽霊や

瓦礫とあまりかわりのないものだった。当たり前に存在する懸け離れたも

ので、勿論幾度となく調べられたのだろうがなにも解らないので、結局、

認知されず放置されたままなのだ。

 

 

 

 ただ此のところ-おそらく此の100年位の-環境の急変で少なくなってき

たのは一部の環境保護団体の指摘する通りだ。でも正体も何も解らないも

のにたいして、保護政策のとりようもなく、他の多くの保護対象同様なお

ざりにされているだけだった。

 

タカヒデも只の観察者というだけで別に保護だとか、そんな大それた事を

考えているわけではない。

 でも、いくら少なくなったとはいえ、本来の撮影を何度も中断してのめ

りこむほどのことではなかった。おかげで撮影はロクに進行しておらず、

もう五日間もマトモに稼働していない有り様だった。

 

「おい、現像まだ上がんないのかよ」

 

タカヒデは俺の考えを見抜いたかのように苛立ち、ADを呼びつけ、怒鳴り

つけた。それから俺に向き直ると何事もなかったように笑い、機嫌の悪く

ないところを見せる。

 

「風、きつかったでしょう。ラビット、今日は途中で止まんなかったんで

すか?」

 

「いや、」俺は昨日ラビットを押してここまでやっとの思いで辿り着いた

のを思い出していた。脇のしたが汗ばんで痛かった。まだ少し腫れている

のかも知れない。

 

「写真、どうよ?」

 

「いいみたいですよぅ」タカヒデは、<抜け殻の男>から目を放さずにい

った。

 

「こいつ、気に入ってますよ、 だってほら」タカヒデは、<抜け殻の男

>の目に見える部分を指した。

 

「ほら、これやっぱり目じゃなかったんですよ。だから何にも反応しなか

ったんだな。」タカヒデは胸のあたりの殻をこじ開けてそこに手を突っ込

んだ。

 

そこには俺の撮った写真が何枚も入っていて妙な触手めいたものがしきり

に写真の上を這っていた。「ほらね、ここにいれて初めてこいつは反応し

たんですよ。これがこいつの目なんです。」

 

「そうか、気に入ってるんならまた撮ってくるよ。」

 

「いやぁ、もう、いいんじゃないですかねえ。」タカヒデは俺のことを見

るとにやりと笑った。

 

「いくらなんでもそろそろ仕事しないと、こいつにかまけてこれ以上現場

遅らせてたら、そっちのギャラまででなくなっちゃいますよ。だから今日

撮ってきてくれた写真をここにいれたら、あとは個人的にでもここ借りて

やりますかね。」

 

「そうか、まぁこいつがこんなとこにでるとは思わなかったしな。俺も此

の現場のあとは開いてるから手伝ってやるよ」俺は半ばほっとしながらそ

う答えていた。

 俺にしても仕事をやりっぱなしにしてこんなことをするのはあまり気持

ちのいいものではない。

 

「いや、ここに出るの知ってたんですよ。」タカヒデはやっと<抜け殻の

男>から目を離して言った。

 

「斉藤さんから聞いてたんですよ。ソロソロ出るころだって。」

 

撮影は五時間も押したあと、やっと終わった。でもその位で済んだのはあ

れだけ<抜け殻の男>にかまけていながらもそれなりに仕事を進めていた

タカヒデのディレクターとしての能力の高さにほかならないということに

なるのだろう。

 

俺はトッパライでチーフの井上からギャラを受け取り、タカヒデにつまら

ない冗談をいって現場をあとにした。もうその時の俺は、<抜け殻の男>

のことも、タカヒデとの約束もすっかり頭から消え去っていた。

 

何日かして俺は奇妙な手紙を受け取った。差し出し人はタカヒデだったが

字が変に歪んでいて子供のいたづら書きにしかみえなかった。

 

 なかには此の暫く<脱殻の男>にしがみついていた、タカヒデのメモが

入っていた。メモのあちこちに数字が書き込んであったがそれは時間や日

付だというのが暫くして解った。だがそれから理解できるのはタカヒデが

俺なんかが思っていたよりずっと長い時間張り付いていたというだけだっ

た。俺はメモから何かを読み取ろうとするのを諦め〔これは俺の悪い癖

だ。すぐにメンドウになってしまう)タカヒデの家に電話を入れたが家に

は帰っていないということだった。為ようがないので出先を聞き出しそっ

ちへ向かうことにした。

 タカヒデは砂防壁の傍にある寂れたレストランに出掛けているというハ

ナシだったが家人も何故そんなところにいるのかは知らなかった。メモを

ジャンパーにねじ込んでラビットのキーを探す。

 

 

 あたりはもうすっかり日が落ちていて、ラビットの貧弱な前照灯では余

程注意していないとすぐに前輪がわだちに取られそうになる。俺は途中位

まできて、カメラを持ってきていないことをすぐに後悔し始めていた。

 それだけ、今日の月は青く美しかった。

 

レストランに辿り着く前にタカヒデを見つけることが出来たのも、青い月

明かりのせいだった。

 タカヒデは砂防壁の内側でなにか茫然として立ちすくんでいた。ラビッ

トをわだちを避けて停め、タカヒデに声をかける。

 

「こんなとこでなにやってんのよ。」

 

「メモ、呼んでくれました?」暗くてタカヒデの表情が読み取れなかった

が、別にいつもとそう変わった様子でもないので少しほっとする。

 

「一応目を通す程度ね」

 

「あぁ、、」タカヒデの声からは感情が読みづらかった。

 

「時間、ありますよね」タカヒデのちょうど後ろあたりに青い大きな月が

やってきていた。

 

タカヒデは足下に置いていた大きめの段ボール箱をあけて中をみせた。な

かにはあの<抜け殻の男>がきれいに分解されて収められていた。そのう

ちの頭らしいものを取り出して月の光にかざしながらタカヒデは言った。

 

「いや、あのスタジオ、スケジュール一杯でそれでなんとか、あのあと連

れ出そうとしたんだけどダメで、」

 

「それで殺しちゃったの?」

 

「いや、」タカヒデは少し笑ったようだった。

「別に死んじゃいませんよ。正確な言い方じゃないけど。こいつら死んだ

りできないんですよ。始めから生きているわけでもなかったんですよ。」

 

俺は、<抜け殻の男>が俺の写真を見ていたときのことを思い出してい

た。

 

「こいつらのことをいくら考えてみても解らなかったんですよ。理由はや

っぱり違いすぎるからなんです。そう考えていけばいろんな組み立て方が

できます。ただ生物としてだけ考えて想定していけば、何らかの目的があ

るはずだってことに行着いたんですよ。」

 

「さっき生きていないとか言ってたよな」

 

「だから目的なんです。今生物としての生活条件を並べ上げようとしてる

わけじゃない。」

 

タカヒデは手に持っていた頭らしきものを月に翳してみせた。中はカラで

青い光が透けていた。

 

「生き物としての最大の前提のひとつは進化なんです。こいつらは進化す

るのを待っているんですよ」

 

「それだって、タカヒデの仮定だろ?まだ、立証できたわけじゃないよな

ぁ。それでこんなにバラバラにしちゃっていいのかよ?おまえにそこまで

の権利があるのかよ」

 

「権利?そんなものはないですよ。そりゃぁ誰にもないものですよ。で

も、立証はできます。だからこれ持ってわざわざここまできたんです。

手、貸して貰えますか?ここに出しますから。」

 

俺は立証よりもバラバラになった<抜け殻の男>ほうが気になって手を貸

すことにした。

 

「俺、ここに来ると思ってた?」

 

「メモ、送ったからね、」

タカヒデはハコから出した<抜け殻の男>パーツを丁寧に砂地に並べなが

ら答えた。

砂地に並べられたばらばらの<抜け殻の男>は月の光をゆっくり反射して

いた。

 

「でも、俺はメモの中身は読めなかったよ。」

 

「いいんですよ。それはどちらでも」タカヒデはその時だけこっちを見た

が後は二度とこちらをみることはなかった。 

 

「じゃあ、服を脱いでこいつらを身に付けて下さい。」

 

「あ?ナニ これ 着るの? 平気なの 脱げなくなったりすんじゃない

の」

 

「平気ですよ。洗ってあるし、こいつに此の場所を認識させるためなんで

すよ。立証するには必要なことなんです。」

 俺は渋々服を脱いで<抜け殻の男>を身に付けた。すこしすえた様なに

おいがしたが、着込むのは思ったより手間取らなかった。

 

最後にタカヒデが最初手に持っていた頭をつけた途端、クスリでもやって

いるような強烈な浮遊感の後奇妙な感覚に襲われた。自分の身体がそのま

ま<抜け殻の男>から排出されたのだ。それと同時に意識が急激に縮こま

りはじめる。

 

一瞬意識が遠のき気がついたら、俺は自分が自分の目玉になっているのに

気がついた。

目の前には<抜け殻の男>がかつて洋館で見たままの姿で立っていて、俺

は自分の身体が自分の意志では指一本動かせないことを茫然としながら理

解していた。

 

どの位たったかわからない。五分なのか三時間なのか・・やがてタカヒデ

が視界に入ってきて無表情に喋り始めた。

 

「立証できたでしょう。生物のもう一つの目的は繁殖なんですよ。この抜

け殻が増えるわけじゃないんですよ。これはわたしたちの触媒みたいなも

んでね。いや、出口といってもいいかもしれないかな・・。まぁ、こんな

ことはニュアンスの問題だからね、説明したところでどうにもならないん

だけど・・。私達はあそこから・・(そう、言うとタカヒデは月を指さし

て見せた)こっちへ生まれるためにこれを通るんですよ・・。だから出口

だけどこれ自体ちゃんと生きていて私達自身でもありえる、だから・・」

タカヒデは下をむいてくすくす笑い始めた。

 

「写真、よかったでしょ、撮っておいて。だから目になれたんですよ。ほ

かの内蔵みたいなものになるよりよっぽど気が利いてる。ね、そう思うで

しょ。タカヒデはね。どこか内蔵の一部になってしまったんですよ。さっ

きやっと静かになったから今ごろ自我崩壊してるかもしれない。でももの

すごい意志力でしたよ。あんたにメモを送り付けたのもタカヒデだったし

ね。」  

 

俺は自分の身体が勝手に動き始めるのを不思議な感覚で理解し受け止めて

はじめていた。

 

手が段ボールを片づけ、ラビットの荷台に縛りつけ苦労しながらエンジン

をかけるのを、ただ眺めながら徐々に消えうせていく自分の自我をゆっく

りゆっくり噛みしめていた。涙が流れて止まらなかったが手は拭おうとも

しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

モドル
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